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第33回 「少年の主張」鳥取県大会 最優秀作品
• 2010, 10, 21

最優秀賞(県知事杯)作品
題 名「命の大切さ」                             米子市立東山中学校 3年 田中 愛 

 私のおじいちゃんは、漁師と板前をしていました。おじいちゃんは、毎日中海や日野川に漁に出て、ワカメやカキ等を採って自分で調理し、お客さんに出していました。そんなおじいちゃんは、地域で有名ながん固者で思った事は全部口に出してしまいます。
 しかし、おじいちゃんは私には優しく、かわいがってくれました。私は、そんなおじいちゃんが大好きで一緒に漁に出たり、おじいちゃんお気に入りの演歌を歌っていたりしました。
 けれど、おじいちゃんは昨年の冬に急死しました。おじいちゃんは、がん固者だったので、ずっと体の調子がおかしい事を誰にも言いませんでした。病院にかけつけたのは夜中の二時でした。おじいちゃんは、ベットに横になり心臓マッサージを受けていました。そして静かに亡くなっていきました。私はあまりに急だったのでショックでおじいちゃんに近づく事も出来ず、ただずっと隅で泣いていました。生まれて初めて、身近な大切な人を亡くし、しばらく悲しみにくれていました。
 そんな矢先でした。東京で「東日本大震災」に遭ったのは・・・。
 私は、三月十日・十一日・十二日に家族と一緒に上京していました。三月十一日午後二時四十六分。母と二人で赤坂にいた私は、高層ビル内で強い揺れを感じ、あわてて外に逃げました。しばらく強い揺れが続き、町は人の群れであふれ、みな逃げたり叫んだり、しゃがみこんだりしていました。電話は不通、交通機関は全て停止、空にはヘリコプター。今まで生まれてから一度も見たことのない町の騒然としたおそろしい様子にこわくてぶるぶるふるえていました。私たち家族は、ホテルに帰ることが出来ず、渋谷駅で長時間途方にくれていました。
 その時でした。駅のテレビで、岩手県、宮城県、福島県が津波におそわれているのを知ったのは。
「日本が大変な事になってる。」
と、恐怖、不安、悲しみで胸がいっぱいになりました。
 その時、母の携帯に東京の友人からメールが届き、渋谷まで迎えに来てくれることになりました。友人は、いつもなら十五分で着くところを二時間かけて迎えに来てくれて、家に泊めてくれました。温かいお風呂。温かい夕食。そして、温かいふとんでねむらせてくれました。
 東京で今まで体験したことのない恐しさにでくわしましたが、同時に人の温かさに胸がいっぱいになりました。そして半年たった今、いろんなことを考えさせれています。
 まず、連日のニュースで被災者の方のつらく、悲しい様子に胸が打たれ一日も早い復興と被災者の方の元の生活がよみがえる様に願っています。
 また、地震で命を落とされた方、残された御家族の気持ちを思うと、いてもたってもいられなくなります。そんな時、私はおじいちゃんの死と被災者の方の死を重ねて考える様になっていました。人は命を与えられている限りその尊い命を大切に、心豊かに支え合い生きなければならないと思います。ある意味人の命は、はかないものです。いつか自分に死が来た時、自分の人生は、悔いなく自分らしい人生を送れたと思えることが大切だと気づきました。
 おじいちゃんは、諦めずがんばり続ける事を、東京の友人は困った時は助け合う事を、被災者の方は、生きる事の大切さを教えて下さいました。私は、学んだ事を胸に秘めて生かされている命に感謝し、精一杯生きていこうと心に決めています。

第33回 「少年の主張」鳥取県大会
• 2010, 10, 20